スカイライン2000GT-R PGC10型
最初の GT-R(1969年)
確かめられた事実
- 型式
- スカイライン2000GT-R PGC10型(日産ヘリテージのカタログの項目名)[2]
- 年
- 1969年。ヘリテージの写真の項目にも「スカイライン2000GT-R 1969年」があります[2]
- 技術
- R380 から数多くの技術を受け継ぐ。4バルブ DOHC エンジン、4輪独立式サスペンション[1]
- 戦績
- 国内ツーリングカーレースで3年間に52勝[1]
「スカイライン」と「GT」の前史
PGC10 の前に、「スカイラインGT」の物語があります。日産ヘリテージのストーリーズによると、1964年、プリンス自動車工業は、鈴鹿サーキットで開かれた第二回日本グランプリのGT-IIカテゴリーに、2リッターエンジンを積んだスペシャルモデル「スカイラインGT」で出場しました。ドイツで作られた純粋なレーシングカーのポルシェ904GTSと互角に競い、わずか1周ながらポルシェを抜いた、とあります。グランドスタンドの観衆は総立ちになり、この出来事は「高性能スポーツセダン」というスカイラインのイメージの起源だと説明されています[1]。

R380 と櫻井眞一郎さんとの関わりは、R380 の面と櫻井さんの面にまとめました。
PGC10 を知る資料
- カタログ:ヘリテージ ギャラリーに「スカイライン2000GT-R PGC10型」の項目(1960年代)があります。同じ一覧に、近い項目として「スカイライン2000GT GC10型」もあります[2]。
- 動画:「スカイライン伝説の始まり」(1960年代・スカイライン)[2]。
- 人物:日産ヘリテージのレジェンドに、「ミスタースカイライン」として桜井眞一郎さんが取り上げられています(2013年時点の記事)[3]。
憧れの原点として
R35 GT-R の開発にかかわった田村宏志さんは、日産の記事の中で、少年のころ、富士スピードウェイの旧コースの30度バンクをハコスカ GT-R が駆け抜ける姿を観客席で見て、ツインカムエンジンの轟音に心を奪われた、と話しています[4]。2019年から2020年にかけての R35 の50周年記念の限定車は、日本グランプリシリーズで活躍した「箱スカ」GT-R をモチーフにしたツートーンカラーでした[5]。1969年の GT-R は、半世紀後の GT-R にも語られ続けています。
この面で確かめていないこと
- 生産台数、価格、発売の月日(エンジンと出力などの諸元は、この面の後半の表で日産ヘリテージコレクション(英語版)から確かめました)。
- 2ドアハードトップ版(KPGC10)は、日産ヘリテージコレクションの英語版に別の項目があります。その数字は KPGC110 の面に書きました。
- 「52勝」の内訳(どのレースか)。
他のサイトや本には細かい数字が出ていますが、日産の公式のページで確かめるまで書きません。確かめられる資料をご存じの方はお問い合わせから教えてください。
1964年から1969年へ
| 年 | 出来事(日産ヘリテージの説明) |
|---|---|
| 1964年 | プリンス自動車工業の「スカイラインGT」が、第二回日本グランプリでポルシェ904GTSと競う[1] |
| 1969年 | 日産が最初の GT-R を発売[1] |
| 1969年からの3年間 | 国内のツーリングカーレースで52勝[1] |
ここに出てくる「プリンス自動車工業」と日産の関係は、日産ヘリテージの説明では詳しく書かれていません。この面では、会社の統合の経緯には触れません。
日産ヘリテージコレクションの諸元(No.423)
日産ヘリテージコレクションの英語版には、1969年の PGC10 が2台載っています。そのうち No.423 のページに、数字がまとまっています[6]。この面の「確かめていないこと」のうち、エンジンと出力の数字は、このページで確かめられました。
| 項目 | 日産の記載 |
|---|---|
| エンジン | S20 型。直列6気筒・4バルブ DOHC・1,989cc |
| 最高出力 | 154kW(210PS)/8,000rpm |
| 最大トルク | 196N·m(20.0kgm)/6,000rpm |
| 全長・全幅・全高 | 4,395mm・1,610mm・1,385mm(ホイールベース2,640mm) |
| 車両重量 | 980kg |
| サスペンション | 前ストラット・後セミトレーリングアーム(いずれも独立式) |
| ブレーキ | 前ディスク・後ドラム |
同じページは、PGC10 を「量産車として世界で初めての4バルブ DOHC エンジン」を積んだ車と説明し、「GT-R」の名前の始まりとしています。デビューは1969年5月の JAF グランプリ(富士インターナショナルスピードウェイ)です。出走者の多くはアマチュアの運転手で、扱いにくい高性能車のため、リタイアした GT-R が多かったと書かれています。優勝した39番の車は、篠原選手が得点で僅差の勝利をつかみ、のちの数多くの勝利の予告になった、という説明です[6]。
出典
- 日産ヘリテージ ストーリーズ(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージ ヘリテージ ギャラリー(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージ レジェンド(2026年11月7日に確認)
- 日産ストーリーズ「R35 GT-Rと田村 宏志 ― 情熱とパフォーマンスの功績」(2025年8月26日)(2026年11月7日に確認)
- 日産 GT-R(R35)Webカタログ「GT-Rストーリー」(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション No.423 スカイライン2000GT-R(1969年・PGC10・英語版)(2026年11月7日に確認)