GT-R とモータースポーツ
GT-R の歴史は、レースの歴史でもあります。日産ヘリテージと GT-Rストーリー、企業サイトの記事で確かめた範囲を、年の順に並べます。
1960年代
- 1964年第二回日本グランプリ(鈴鹿、GT-IIカテゴリー)。プリンス自動車工業の「スカイラインGT」が、ポルシェ904GTSを1周だけ抜いた。[1]
- 1969年~3年間最初の GT-R は、国内のツーリングカーレースで3年間に52勝。[1]
1970年代
日産ヘリテージ ギャラリーのモータースポーツの写真には、1972年の富士グランチャンピオン・マスターズ250kmでの「スカイライン2000GT-R 3号車(黒沢元治)総合優勝」と、同年の富士300kmでの「スカイライン2000GT-R 15号車(高橋国光)総合優勝」があります[2]。写真の説明に書かれた情報はここまでで、型式(KPGC110 など)は書かれていません。
1990年代
同じギャラリーに、1991年のスパ・フランコルシャン24時間の「スカイラインGT-R 25号車 総合優勝」の写真があります[2]。写真の説明に、型式の記載はありません。
2010年代:R35 の GT500 と GT3
日産の GT-Rストーリーは、2015年のスーパーGTについて、次のとおり書いています[3]。
- GT300クラスで、ゲイナー・タナックスGT-R の10号車がシリーズチャンピオンを獲得(GT-R NISMO GT3 の高い実力を示した)。
- GT500クラスで、モチュール・オーテックGT-R の1号車が2014年に引き続きチャンピオンになり、連覇を達成。
- 海外でも、ブランパン耐久シリーズやバサースト12時間耐久レースで優勝。
田村宏志さんも、企業サイトの記事で、2015年の GT-R NISMO GT3 によるバサースト12時間レースの勝利が忘れられない、と話しています。国内では、筑波サーキットでのタイムアタックと、スーパー耐久シリーズでお客さまが GT-R を駆って勝つ姿が特別だった、とも[4]。
レースが市販車に返したもの
日産は、NISMO が開発した GT500 規定とFIA GT3 規定のレーシングカーの技術とノウハウが、市販の GT-R にも活かされ、最新モデルまで続く「深化」を支えた、と説明しています[3]。2014年モデルの GT-R NISMO には GT3 レーシングカー用のターボチャージャーが載せられた、という記述もあります。レースと市販車がつながっていた、という GT-R の考え方です。
少年の記憶
田村さんの GT-R への情熱の出発点は、少年のころ、富士スピードウェイの旧コースの30度バンクを走るハコスカ GT-R を観客席から見た記憶だと、同じ記事に書かれています[4]。
この面で確かめていないこと
- レースの結果の細部(周回数、2位以下、天候)。
- R32 のグループAでの国内レースの戦績(日産の公式のページで、今回は確かめられていません)。
- 2016年以降のスーパーGTでの GT-R の成績。
勝利の数字の読みかた
「3年間に52勝」という数字は、日産ヘリテージのストーリーズに書かれたものです[1]。どのレースのクラスをいくつ数えたか、どの期間かは、そこには書かれていません。他の資料には、別の数字が出ていることがありますが、数え方が違う可能性があります。このサイトは、日産の数字をそのまま「日産の説明では」として書きます。
年表の形で
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1964年 | スカイラインGT が第二回日本グランプリでポルシェ904GTSを1周だけ抜く |
| 1969年~ | GT-R が国内ツーリングカーレースで3年間に52勝 |
| 1972年 | 富士で、スカイライン2000GT-R が総合優勝(2レース) |
| 1991年 | スパ・フランコルシャン24時間で、スカイラインGT-R 25号車が総合優勝 |
| 2015年 | スーパーGT の GT300・GT500 でチャンピオン、バサースト12時間で優勝 |
報道と日産の資料で確かめた戦績
| 年 | 戦績 |
|---|---|
| 1969〜1972年 | PGC10・KPGC10 で国内のツーリングカーレース52勝。1972年3月に50勝、同年10月にワークス活動を終えた時点で52勝[5] |
| 1990〜1993年 | R32 が全日本ツーリングカー選手権で29戦29勝。4シーズンで負けなし[6][7] |
| 1990〜1992年 | スパ・フランコルシャン24時間(グループN)で3連覇。1990年は表彰台を独占(くるまのニュースによる)[7] |
| 1999年 | R34 の JGTC 車両(ペンズオイル・ニスモ)が、全6戦で得点。E.コマス選手がドライバーズタイトルを2年連続で獲得[8] |
| 2024年 | NISMO がつくばサーキットで59秒078(Response の記事による)[9] |
R32 の強さを受けて、1992年からレギュレーションが変わったと、くるまのニュースは書いています[7]。強い車が規則を動かした例として、GT-R の話にたびたび登場します。ただし、規則変更の詳しい中身は確かめていません。
出典
- 日産ヘリテージ ストーリーズ(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージ ヘリテージ ギャラリー(2026年11月7日に確認)
- 日産 GT-R(R35)Webカタログ「GT-Rストーリー」(2026年11月7日に確認)
- 日産ストーリーズ「R35 GT-Rと田村 宏志 ― 情熱とパフォーマンスの功績」(2025年8月26日)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション No.401 スカイライン ハードトップ2000GT-R(1972年・KPGC10・英語版)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション No.210 スカイラインGT-R(1989年・BNR32・英語版)(2026年11月7日に確認)
- くるまのニュース「R32スカイラインGT-Rとは」(2020年8月25日)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション No.180 スカイラインGT-R(1999年・BNR34・JGTC車両・英語版)(2026年11月7日に確認)
- Response「R35 GT-R 生産終了」(2025年8月26日)(2026年11月7日に確認)