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R380
最初の GT-R に技術を渡したレーシングカー

ひとことでR380 は、プリンス自動車工業が、1964年の第2回日本グランプリで勝ったポルシェに勝つために作った、戦後の日本で最初のプロトタイプレーシングカーです。日産ヘリテージコレクションの解説によると、開発の責任者は櫻井眞一郎さんでした[1]。日産ヘリテージのストーリーズは、1969年の最初の GT-R が R380 から数多くの技術を受け継いだと書いています[2]。
プリンス R380(1966年)
プリンス R380(1966年)。写真:MIKI Yoshihito from Sapporo City,Hokkaido., JAPAN/CC BY 2.0/Wikimedia Commons(改変:トリミング・縮小)

この面の読みかた

R380 そのもののレースの経過は、日産ヘリテージコレクションの解説と、日本グランプリの年表に詳しいので、この面はGT-R のサイトの目で、R380 のどこが GT-R につながるのかだけを拾います。つながると日産が書いていること、書いていないことを分けて並べます。同じ編集部の別のサイトには、R380 とプリンスの歴史を中心にした面があります(下の「同じ編集部のサイト」)。文は共有していません。

A-I 型と A-II 型の数字を並べる

日産ヘリテージコレクションは、R380 を A-I 型(1966年)と A-II 型(1967年)の2台で解説しています。数字を表にします[1][3]。

項目A-I 型(1966年)A-II 型(1967年)
エンジンGR8(直列6気筒・4バルブ DOHC)1,996ccGR8型(直6・DOHC・4バルブ)1,996cc
最高出力147kW(200PS)以上/8,400rpm162kW(220ps)以上/8,400rpm
最大トルク172Nm(17.5kgfm)以上/6,400rpm196Nm(20.0kgm)以上/7,200rpm
全長×全幅×全高3,930×1,580×1,035mm4,060×1,685×985mm
ホイールベース2,360mm2,360mm
重さ620kg(車両重量)空車590kg・718kg(出走状態)
サスペンション前後ともダブルウィッシュボーン(上 I アーム・下逆 A アーム・ダブルラジアスアーム)同左
ブレーキ4輪ディスク(ガーリング社製)同左

数字から読めることは3つあります。エンジンの排気量は同じ1,996ccのまま、最高出力が200PSから220PS以上に、トルクも17.5kgfmから20.0kgmに上がっていること。ホイールベースは同じで、車体は A-II のほうが長く、低くなっていること。サスペンションの形式は同じであること。ここに挙げた A-II の実車は、解説によれば最高速度重視の速度記録用で、競技仕様のカウルとは細部が異なり、全長が80mm長い、とあります[3]。表の A-II の数字は、競技仕様ではなくこの実車のものです。

R380 の「ふつうの車と違う」ところ

A-I 型の解説は、アルミ製の車体が、ブラバム BT8 に似たシャシーに載り、GR8 エンジンが車体の中央に積まれていた、と書いています。GR8 は、G7(OHC)をもとに新しく設計された4バルブ DOHC です[1]。エンジンを車体の中央に積んだレーシングカーで、乗用車のスカイラインとは、車の作りがまるで違います。それでも日産は、最初の GT-R が R380 の技術を受け継いだと書いています。何を受け継いだのかは、次の節で確かめます。

最初の GT-R に渡ったと書かれていること

日産ヘリテージのストーリーズは、1969年に日産が最初の GT-R を発売したと書き、このクルマは「純粋プロトタイプレーシングカー『日産(プリンス)R380』から数多くの技術をフィードバックし、4バルブ DOHC エンジンや4輪独立式サスペンションなどの多くのレーシングテクノロジーを搭載した」と説明します[2]。

この説明の「4バルブ DOHC エンジン」と「4輪独立式サスペンション」は、上の表の R380 の仕様と、言葉のうえで重なります。ただし、日産の2つの記事は、R380 の GR8 エンジンと GT-R のエンジンが同じものだ、とも、同じ設計から作られた、とも書いていません。PGC10 の面にも書いたとおり、エンジンの型式名や出力は、日産の公式のページでこのサイトが読み取れた範囲では確認できていません。「重なる」と「同じ」は別の言葉なので、ここでは「重なる」までにとどめます。

櫻井眞一郎さんとの関わり

R380 の解説は、開発の責任者を櫻井眞一郎さん(1929~2011年)と書き、「歴代のスカイラインを手がけたことで知られる」と添えています[1]。日産ヘリテージのレジェンド04の写真の説明は、R380 を「プリンス自動車工業在籍中の桜井が中心となって開発が進められたレーシングカー」とし、1965年に第1号車が完成したと書きます[4]。櫻井さんの面で、GT-R との関わりを確かめた範囲を整理しています。

1966年の優勝:プリンスの最後のレース

A-I 型の解説によると、展示されている車は、1966年の第3回日本グランプリで優勝した11号車の実車で、ドライバーは砂子義一さんでした。解説は、これは「プリンスが日産と合併する前に勝った最後のレース」を意味する、と説明します[1]。この車は2013年に NISMO が完全にレストアし、2018年に1966年と同じ赤に塗り直された、とも書かれています[1]。

国際スピード記録

A-II 型の解説によると、R380 は国際スピード記録にも挑みました。1回目は、日本グランプリが中止になった1965年10月(昭和40年)。杉田幸郎さんが運転した R380-AI が、4種目で国際記録を上回るタイムを出しましたが、走った谷田部のコースが FIA 未公認だったため、国内記録になりました。2回目は日本グランプリで優勝した翌年の1967年10月8日で、横山達さんの運転で、50km・50マイル・100km・100マイル・200km・200マイル・1時間の合計7種の国際記録を樹立した、と書かれています[3]。

R380 から GT-R へ、年で並べる

この面で確かめていないこと

2026年11月7日に、日産ヘリテージコレクションの解説2本とレジェンド04を開いて確かめました。

同じ編集部のサイト(非公式のファンのサイト)

次は、gtr.tokyo と同じ「ちんあなご編集部」が運営する、日産とは関係のない非公式のファンのサイトです。R380 とプリンスの歴史を、別の切り口で整理しています。

出典

  1. 日産ヘリテージコレクション Prince R380A-I(1966年・英語版)(2026年11月7日に確認)
  2. 日産ヘリテージ ストーリーズ(2026年11月7日に確認)
  3. 日産ヘリテージコレクション ニッサンR380(A-II型)(2026年11月7日に確認)
  4. 日産ヘリテージ レジェンド04「ミスタースカイライン」の素顔、桜井 眞一郎(2026年11月7日に確認)