田村宏志さん
R35 GT-R の開発にかかわった人
日産の記事にある経歴
- 入社
- 1984年に日産に入社。「日産だけが唯一、私がその門を叩いた会社」と語っている[1]
- これまで
- オーテックジャパンでの勤務、90年代中ごろのマキシマ/セフィーロの企画、日産プリンス神奈川での勤務などを経験[1]
- GT-R に
- 1997年に正式に GT-R にかかわるようになった[1]
- 通称
- ファンのあいだでは「GT-Rのゴッドファーザー」「GT-Rの父」と呼ばれることがある[1]
原点:少年のころ
情熱の原点は、少年のころ、富士スピードウェイの30度バンクがある旧コースを疾走するハコスカ GT-R を観客席から見たことだ、と記事にあります。1970年代には「Gノーズ」で知られる240ZGを手に入れ、L型直列6気筒を3.1リッター(L28改)にチューニングし、ミクニのトリプルキャブレターを付けて日常的に乗っていた、とも[1]。
R35 の構想について
2001年ごろ、R35 のビジョンとコンセプトを計画していた初期に、直列6気筒エンジンとマニュアルトランスミッションを使わない方針を強く推しました(2007年の登場の面)。「GT」と「R」の二面性を持たせる考え方を語り、その二面性は2013年に登場した初代 GT-R NISMO で実現した、と話しています[1]。
愛車と色
愛車は、ガンメタリックの R32 GT-R で、フロントバンパーに色あせた「Mid Night」のステッカー、足まわりには R34 GT-R の純正ホイール。最近は、2025年モデルの R35 GT-R T-spec を、ミレニアムジェイドの外装と黒の内装で購入した、と話しています[1]。色の話は色の面に書きました。
サーキットとイベント
ニュルブルクリンクには100回以上訪れ、合計で500日ほど滞在したこと、日本の「R's Meeting」が世界最大の GT-R の集まりだと思うこと、東京オートサロンも素晴らしいイベントで、アメリカやオーストラリアの GT-R フェスティバルも素晴らしいこと、などが記事にあります[1]。
催しで会える機会
MINI GT 公式の告知画像には、「MEET THE LEGENDS — CREATOR & DRIVER TALK」の「CREATOR」側として田村宏志さんの名前が書かれています[2]。同じ画像の名前の下には、田村さんの名を冠した MINI GT の商品らしき箱が写っています。トークの日付と時刻は、画像に書かれていません。詳しくはトークの面へ。
この面で確かめていないこと
- 現在の役職・所属(日産の記事は「日産のスポーツカーの企画開発に長きにわたって携わり」と書くのみで、肩書は書かれていません)。
- MINI GT の商品の内容。
- 他のインタビューや書籍での発言。
記事の見出し(日産の企業サイト)
日産の記事は、いくつかの見出しに分かれています:初期のコンセプト段階、意図された二面性、T-Spec は TM-Spec になる予定だった、R35 は当然のように田村のガレージへ、カラーへのこだわり、サーキットでの挑戦、印象的なイベント、最もワイルドなカスタム R35、R35 が象徴するもの、この瞬間を振り返って[1]。この面は、そのうちの一部を要約しています。読み物としては、日産の記事そのものが、ずっと詳しいので、ぜひ原文を読んでください。
発言から分かる R35 の開発のキーワード
- 2ペダル:マニュアルではなく、デュアルクラッチ。2000年代初頭の技術論文がきっかけ。
- 二面性:GT と R。
- 色:青と緑。
- ニュルブルクリンク:100回以上、合計500日ほどの滞在。
- R's Meeting:世界最大の GT-R の集まり、と田村さんが話している。
いずれも、日産の記事[1]に書かれたものです。
報道が伝える田村さんの肩書きと言葉
Car Watch の2013年12月6日の記事は、田村さんを2014年モデルの開発責任者と紹介しています。GT-R の顔だった水野和敏さんが日産を離れたあと、その役割に就いた人で、2001年の東京モーターショーに出た GT-R コンセプトの企画の立ち上げにも深く関わった、と書かれています[3]。
Car Watch の2025年8月27日の記事では、2025年8月26日の最後のオフライン式で、肩書きは日産ブランドアンバサダー、「R35 GT-R の生みの親」と紹介されています。式典での言葉は、記事によると次のとおりです[4]。
- 開発中の呼び名「TM」は、トレンドメーカーとトラクションマスターに由来する。
- ボディ剛性は、設計図面を変えずに、工場の厳しい寸法管理で、設計値より8%高まった。「この現場あってのGT-R」と話した。
- 次期型は「いろいろとやっている」が、この場は発表の場ではない。
肩書きが、2013年は開発責任者、2025年はブランドアンバサダーと違う点は、この面の他の節の出典(日産の記事)と合わせて読んでください。
出典
- 日産ストーリーズ「R35 GT-Rと田村 宏志 ― 情熱とパフォーマンスの功績」(2025年8月26日)(2026年11月7日に確認)
- MINI GT 公式X(@MINIGT64)の投稿(2026年11月4日)(2026年11月7日に確認)
- Car Watch「日産「GT-R(2014年モデル)」「GT-R NISMO」インプレッション」(2013年12月6日)(2026年11月7日に確認)
- Car Watch「日産、最後のR35GT-Rオフライン式」(2025年8月27日)(2026年11月7日に確認)