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伊藤修令さんと R32 スカイライン GT-R
16年ぶりに GT-R を復活させた開発主管

ひとことで日本自動車殿堂の紹介ページは、伊藤修令さんが1985年にスカイラインの開発主管になり(R31・R32)、R32 で GT-R を復活させて1989年に発売した、と書いています[1]。日産ヘリテージのレジェンドの紹介では、R32 は櫻井眞一郎さんから伊藤さんに全権が渡され、一から開発された最初のスカイラインです[2]。
先に肩書きは資料によって「開発主管」「商品主管」「チーフエンジニア」と揺れます。日本自動車殿堂は「開発主管」、Car Watch(2022年11月10日)は「商品主管」、ベストカー(2019年3月15日)は、日産では商品主管と呼ぶが実質は開発責任者だった、と書きます[1][3][4]。この面では、原文の言い方のまま書きます。
スカイラインGT-R(BNR32型)
スカイラインGT-R(BNR32型)。写真:Tokumeigakarinoaoshima/CC0/Wikimedia Commons(改変:トリミング・縮小)

この面の読みかた

同じ編集部の非公式のファンのサイトに、伊藤さんの面が3つあります。ここ gtr.tokyo は R32 と GT-R の復活を扱います。プリンス自動車での入社から合併のあとまではプリンス.com の伊藤修令さんの面、オーテックジャパンの時期はオーテックジャパン.jp の伊藤修令さんの面です。文は共有していません。前の世代を率いた人は櫻井眞一郎さんの面にあります。

R31 からの引き継ぎ

7代目スカイライン(R31)の開発の終盤、櫻井さんが病に伏し、伊藤さんが代役を頼まれました。日産の記事は、伊藤さんが引き継いだ時点で R31 は開発の終わりに近く、設計の全体を一から統括したのは R32 が最初だと説明します[2]。伊藤さん自身の語りでは、櫻井さんが戻ったあとに「あとは任せる」と言われ、正直なところ、あまりやりたくなかったそうです。櫻井さんの後が難しいことと、別の人が担当してスカイラインらしくない車になるのも困ることが理由でした[2]。

ベストカー(2019年3月15日)は、R31 が新しいエンジンの性能を十分に引き出せず、登場の初期に大きな批判を受けたと書きます[4]。伊藤さん本人の語り(ベストカー・2024年8月22日掲載、2005年の取材の再掲)によれば、4ドアが出たとき、マスコミからエンジンもデザインも厳しく評価され、2ドアも重くて大きいと感じたため、「ちょっといい」程度では他の車と差がつかないと考えたといいます[5]。

2ドアから外された GT-R のバッジ

同じ語りによると、1985年6月、4ドアの発売を前に、グリルの中央とテールに GT-R のバッジをつけた2ドアの実車が完成していました。しかし、車の実力と GT-R という名の重さを考えて、バッジを外し、名前を GTS に変えました。この時点で、次の R32 で GT-R を復活させる気持ちは固まっていたそうです。800台限定の GTS-R については、GT-R とするか最後まで議論したものの、専用のエンジンではないことなどを理由に見送られた、とあります[5]。

GT-R が決まった1986年:二つの語りを並べる

GT-R の復活がいつ、どう決まったかは、記事によって書き方が違います。

出典書かれていること
伊藤さんの語り(ベストカー・2024年8月22日掲載)1986年の初めに開発の構想を考えたが、同年の上半期は会社が創業以来の赤字で、言い出しにくかった。商品化を決める1986年7月に、役員に初めて R32 GT-R の開発計画を伝え、承認された[5]
ベストカー(2021年2月17日・片岡英明さんの記事)1986年春、首脳陣が「技術のイメージを高めるために新世代の GT-R が必要」と判断し、正式な開発が決まった[6]

どちらが正しいかを、このサイトは決めません。「伊藤さんが役員に初めて伝えた」のが1986年7月、「首脳陣の判断」を1986年春と書く記事もある、という二つの記述が並んでいます。開発の始まりについても、ベストカー(2019年3月15日)は「1985年ごろ」[4]、ベストカー(2021年2月17日)は「1986年、R31 の発売直後で、開発コードは RX」[6]と書いています。1985年は、日本自動車殿堂が書く主管就任の年と同じです[1]。

「GT-X」という呼び名と、ディーラーへの披露

伊藤さんの語りでは、当時の社内の呼び名は GT-X でした。1989年2月に全国のディーラーを集めて車を披露したときの資料にも、GT-X と、270馬力以上と書いてありました。実車には、こっそり GT-R のエンブレムをつけて展示した、と語られています[5]。

開発の進め方:部門の垣根を越える

同じ語りで、伊藤さんは、日産には機能ごとの開発部門がよく働いていたが、それらを統合して指揮する人がいなかったと感じていた、と話しています。エンジン、シャシー、車体がそれぞれ最高のものを作っても、総合的なバランスは取れていなかった、という見方です。R32 では、部門のあいだで意見を交わす形に変えました。最初はエンジン部門の反発もありましたが、説明を重ねて受け入れられたそうです。背景として、伊藤さんは「901運動」と、久米豊社長による風通しの呼びかけを挙げ、プリンスの時代の、技術の議論に職位は関係ないという文化も語ります。こうした進め方の結果として、R32 GT-R の駆動方式は4WDになった、と本人は述べています[5]。ベストカー(2019年3月15日)は、当時の「P901活動」が1990年に世界一のシャシー性能を実現する目標を掲げていたと書きます[4]。

数字で見る:目標と製品

項目書かれていること
エンジンの目標(伊藤さんの語り)RB26DETT(2.6L直6ターボ)で300ps・35kgmを目指した段階で、MT・ATともに一段上の仕様に変更。工数が膨大になるため MT に集中し、AT はほとんど開発しなかった[5]
発売された GT-R(日産ヘリテージ)RB26DETT・2,568cc。206kW(280PS)/6,800rpm、353N·m(36kgm)/4,400rpm。ATTESA E-TS の4WD、5速MT、車両重量1,430kg[7]
R32 の発売日スカイライン R32 は1989年5月22日、GT-R は1989年8月21日(ベストカー・2019年3月15日)[4]。日産ヘリテージは、R32 が1989年5月に登場し、3か月後に GT-R が戻ったと書き、日付は書いていません[7]
レースの成績1990年から1993年の4シーズンの全日本ツーリングカー選手権で29勝、負けなし[7]

目標の「300ps」と、発売された車の「280PS」は、別の資料の数字です。なぜ差があるのかは、確かめた資料に書かれていません。

GT-R の発売が3か月遅れた理由

ベストカー(2019年3月15日)の記事によれば、伊藤さんは最初、基準車と GT-R の同じ日の発売を厳命していました。しかし、試作車は3か月ごとの段階で作られており、実験の現場の事情の説明を受けて、約3か月の遅れに納得した、とあります[4]。Car Watch(2022年11月10日)も、まず2WD の GTS-t を完成させ、それをもとに次の試作から GT-R を作る方針になり、同時に発表した GT-R の発売は、開発の時間を確保するために3か月遅らせたと書きます[3]。同じ記事は、伊藤さんが GTS-t を「R31 を超える車にする」という強い気持ちで作っていたとも伝えます。

GT-R のコンセプト

ベストカー(2019年3月15日)によれば、GT-R のコンセプトは「究極のロードゴーイングカー」で、社内には分かりやすく「グループAで勝つ車」と説明したといいます。ボディの大きさは基準車の走りを優先して決めた、とも書かれています[4]。ベストカー(2021年2月17日)は、仮想のライバルとしてメルセデス・ベンツ190E 2.3-16、BMW M3、ポルシェ944ターボの名を挙げています[6]。これらは記事の記述で、日産の公式の資料では確かめていません。

四輪駆動と四輪操舵の話

櫻井さんは、スカイラインの哲学を人馬一体で説明し、後輪駆動のよさと、前足でも蹴り、後ろ足でも舵を切る馬の動きから、四輪駆動と四輪操舵が要ると語っていた、と伊藤さんが話しています。記事の注は、これをアテーサ(ATTESA E-TS、電子制御トルクスプリット4WD)とハイキャス(HICAS、電子制御4輪操舵)にあたるものとしています[2]。R32 GT-R に ATTESA E-TS が載ったことは、日産ヘリテージで確かめられます[7]。

年表(伊藤さんの側から)

よくある質問

R32 GT-R を設計したのは伊藤修令さんですか。
開発の主管として全体を統括した、と複数の資料が書いています。個々の部品の設計者という意味ではありません。エンジンやシャシーなど担当の分け方は、確かめた資料に書かれていません。
R33・R34 も伊藤さんの担当ですか。
ベストカーの記事は、R33・R34 の主管として別の人(渡邉衡三さん)の名前を挙げています[4]。伊藤さんの担当は R31 と R32 までと読めますが、R33 以降の関わりは確かめていません。
R32 の GT-R は何年ぶりの復活でしたか。
日産ヘリテージは「16年ぶり」と書いています[7]。
R32 の面とのちがいは。
R32・R33・R34 の面は車の事実、この面は開発を率いた人の語りと報道を扱います。

この面で確かめていないこと

2026年11月7日に、上の出典を開いて確かめました。報道の文は写さず、事実だけを自分の文で書いています。

同じ編集部のサイト(非公式のファンのサイト)

出典

  1. 日本自動車殿堂 殿堂者紹介「伊藤 修令」(2026年11月7日に確認)
  2. 日産ヘリテージ レジェンド04「ミスタースカイライン」の素顔、桜井 眞一郎(2026年11月7日に確認)
  3. Car Watch「日産名車再生クラブが手掛けた「R32 スカイラインGT-R」(N1耐久レース仕様車)、富士スピードウェイでテスト走行」(2022年11月10日・報道)(2026年11月7日に確認)
  4. ベストカー「平成の日産スカイラインGT-R! 伝説のエンジニアが語る開発秘話」(2019年3月15日・報道)(2026年11月7日に確認)
  5. ベストカー「R32GT-Rは300馬力でATもあった!? 歴代スカイラインGT-R開発責任者3人が語る」(2024年8月22日掲載・2005年の取材の再掲・報道)(2026年11月7日に確認)
  6. ベストカー「平成を代表する名車 日産R32スカイラインGT-Rが登場した時の衝撃」(2021年2月17日・報道)(2026年11月7日に確認)
  7. 日産ヘリテージコレクション No.210 スカイラインGT-R(1989年・BNR32・英語版)(2026年11月7日に確認)
  8. Car Watch「スカイラインファンの聖地と言える「プリンス&スカイラインミュウジアム」」(2020年6月17日・報道)(2026年11月7日に確認)